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2022/05/24 コラム

【コラム】鎌倉殿の13人 契約結婚第一号?義時の妻、比奈こと「姫の前」

ドラマでは比奈として紹介されている比企氏の長男藤内朝宗の娘ですが、実際は「姫の前」と呼ばれています。姫の前は幕府の官女でした。

その容姿の美しさから頼朝お気に入りであり、その後ろ盾もあって「権威無双」の女性といわれていました。

「姫の前」の呼び名はそういったところからきているのかもしれません。

当時、姫の前を一目見た義時は、すっかり夢中になり何度も何年も手紙を送ったそうです。
姫の前は無視し続けていたようですが、「吾妻鏡」には、源頼朝の計らいで北条義時のもとに嫁ぐことになったとあります。

文章の中には「起請文(契約書)」のことも記述がありました。
頼朝は姫の前に「離別をいたすべからず」という契約書を取ってから行くようにと言いつけたそうです。

これはいわば日本史上に見られる契約結婚の第一号であったと思われます。

では、なぜ頼朝はこのような言いつけをしたのでしょうか。

それは、当時義時が一両年漁色に耽る(見境なく女性をもてあそぶ)という噂がもっぱらあったから、とも言われていますが、源氏政権を支える「比企氏」と「北条氏」の関係が離別をきっかけに壊れることがないように、という頼朝の強い願いがあったからではないでしょうか。

さて、その後「比企氏の乱」がおき、比企一族が北条氏に討たれることになるのですが、その比企氏の乱の後「姫の前」の名前は吾妻鏡から全く姿を消してしまっています。
ただ、同時期の公家である、藤原定家の日記「明月記」(めいげつき)に姫の前と思われる女性のその後に関する記述が出てきます。

おそらく、比企の乱後、姫の前から(または義時から)離別を義時に伝え、3人の子供のいる鎌倉を離れて上洛。公卿の源具親と再婚し子供を二人設けるも3年後に亡くなったようです。

波乱に満ちた人生を送ったと思われる姫の前。
ドラマでは、比奈がどのように描かれるのか楽しみですね。

今回も比企総合研究センター代表である、当社管理物件オーナーでもある髙島敏明様にお話しを伺いました。

比企総合研究センター https://www.hikisouken.jp/ 参考文献:甦る比企一族 比企総合研究センター刊

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